東京地下鉄(東京メトロ)

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東京地下鉄株式会社(とうきょうちかてつ、英称 : <span lang="en" xml:lang="en">Tokyo Metro Co., Ltd.)は、東京地下鉄株式会社法を根拠として設立された特殊会社で、東京都特別区(東京23区)およびその付近[1]地下鉄を経営する鉄道事業者である。日本国政府と東京都が出資する完全公的資本の株式会社である。愛称は東京メトロ東京の地下鉄路線のうち、銀座線などの9路線(2011年2月現在)を運営している。
シンボルマーク [編集] シンボルマークは、メトロ(METRO)の「M」を図案化した「ハートM」である。アテネオリンピックのシンボルマーク開発も手掛けた英国のデザイン会社ウルフオリオンズ社に依頼したものである。なお、営団時代はSUBWAYの「S」(ほかにSAFETY(安全)、SECURITY(保安)、SPEEDY(速さ)、SERVICE(サービス)の「S」を含む)を図案化したものであった。
コーポレートカラー [編集] コーポレートカラーは、シンボルマークの背景色でもある「ブライトブルー」。「東京メトロ」の背景色は「ダークブルー」とし、ブライトブルーを常にメインとしながらも両色を並べて表示する。シンボルマークと愛称を知ってもらうために、基本的に2つのボックスと2つの色を常に並べて表示し、これをコミュニケーションマークと制定した。
愛称 [編集] 「東京メトロ」は、営団末期に社内で募集したものの中から採用された。愛称でも使用している「メトロ」という語は、1863年1月11日ロンドンで世界初の地下鉄を開通させたメトロポリタン鉄道に由来する[5]。その後、パリ地下鉄が「メトロ」を呼称に用いたが、営団時代から地下鉄路線網を「メトロネットワーク」と呼び、路線図に記載していたほか、プリペイドカードメトロカードや駅売店の「Metro's」(メトロス)、オリジナルキャラクターでアリの「メトロン」、ドメイン名「www.tokyometro.jp」(旧営団時代は「www.tokyometro.go.jp」)など、「メトロ」という語を多用している。また、パスネット対応カードを「SFメトロカード」という名称で発行していた。
なお、「メトロ」という語には「都市」を意味する「metropolitan」もあり、東京都(地域ドメイン名)や東京にある施設や団体はこの意味で使っている場合もある。
理念・キャッチコピー [編集] 東京メトログループ理念は「東京を走らせる力」で、2012年(平成24年)4月からのキャッチコピー「We are the Tokyo Navigator」である。なお、2012年(平成24年)4月から6代目のイメージキャラクターとして女優武井咲を起用している(歴代のキャッチコピーとイメージキャラクターは「キャッチコピーおよびイメージキャラクター」を参照)。
副都心線の営業キロは小竹向原 - 渋谷間のもので、有楽町線との共用区間は含まない。 有楽町線のうち和光市 - 小竹向原間は、東京圏鉄道網整備計画などでは13号線(副都心線)の一部となっており、東京地下鉄によると副都心線の起点駅は和光市となっている。そのため、和光市 - 小竹向原間は有楽町線と副都心線の共有区間となっている。なお、副都心線開業前は、先行開業していた小竹向原 - 新線池袋(現・池袋)間を有楽町線新線として営業していた。 路線番号に欠番(1・6・10・12号線)があるのは、都営地下鉄と共通の連番にしているためである。 銀座線と丸ノ内線は標準軌(軌間1,435mm)・第三軌条方式直流600V)、それ以外の路線は他社線との相互乗り入れを行う必要性などから狭軌(軌間1,067mm)・架空電車線方式(直流1,500V)による電気鉄道となっている。また、車両の大きさも銀座線が小型車(16m級)、丸ノ内線と日比谷線が中型車(18m級)、その他の線区が大型車(20m級)と、建設時期や他社乗り入れ車両の関係から線区ごとに異なっている。
なお、東京地下鉄では起点から終点に向かう下り線を「A線」、終点から起点に向かう上り線を「B線」と呼んでいる。駅ではホームの番号が若い方をA線としている(綾瀬・中野坂上および半蔵門線各駅を除く自社管理駅に限る)。また、列車番号では上下で奇数偶数の区別をしていないため、直通のない銀座・丸ノ内線を除いて「A○○△△S」「B○○△△K」(○○はその列車の始発「時」、△△は運用番号、末尾のアルファベットは車両の所属元の符号)のように頭にA・Bが付く。
ちなみに、2004年の発足時に導入された駅番号(駅ナンバリング)は、基本的に西・南から東・北方面に向かって振られており、路線によっては起点ではなく終点側の駅が「01」である場合もある点に注意が必要である。上表では左側の駅が起点である。なお、各線の記事の駅一覧では駅番号順で記載している。
今後の新線開業については、当初の営団の目標である「地下鉄網の整備」に目途が立ち、民営化を目指すために東京地下鉄が設立されたという経緯を勘案し、副都心線以降は行わない方針である。ただし、今後新線建設に対する協力を求められる場合には、東京地下鉄の都市鉄道ネットワークの一部を構成する事業者としての立場から、「当社の経営に悪影響を及ぼさない範囲内において行う」という方針であるともいう。
1982年1月に免許申請を行った8号線(豊洲 - 亀有間14.7 km)については、半蔵門線(水天宮前 - 押上間)の開業や輸送需要予測の減少等、免許申請時とは事業環境が異なってきたことから、東京地下鉄としては、整備主体となることはきわめて困難と表明している。
直通運転区間 [編集] 東京地下鉄では、全9路線中7路線で他社線との相互直通運転を行っている。詳細は各路線の記事を参照のこと。
東京地下鉄の所有車両は、東武鉄道(日比谷線・有楽町線・半蔵門線・副都心線)、東京急行電鉄(東急)(日比谷線・半蔵門線・南北線)、東日本旅客鉄道(JR東日本)(東西線・千代田線)、小田急電鉄(千代田線)、西武鉄道(有楽町線・副都心線)、東葉高速鉄道(東西線)、埼玉高速鉄道(南北線)と相互乗り入れを行っているため、埼玉県千葉県神奈川県茨城県までの広範囲で運転されている。ただし、茨城県内の乗り入れ駅は取手駅のみであり、乗り入れ時間帯も朝・夕の通勤時間帯に限定される。
()内の駅名は通常のダイヤにおける最長直通運転区間臨時列車、有料特急列車をのぞく)。[ ]内の英字は当該社所属車両に割り当てられる運用番号の末尾の記号(列車記号)で、この英字によって所属を区別する。なお、東京地下鉄の所有車両の識別符号はメトロを示す「M」ではなく、営団時代から引き続き「S」が使われている。おおむね各鉄道会社の所属車両の表示は東武と東葉高速が「T」、東急とJR東日本は「K」、小田急は「E」、西武と埼玉高速は「M」である。
東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)東武動物公園駅)・日光線南栗橋駅)[T] - 日比谷線 - 東急東横線菊名駅)[K] 東急東横線直通列車は時刻によって東京地下鉄(03系)か東急(1000系)かどちらの車両が使用されるかが決まっている。東武伊勢崎線・日比谷線・東急東横線と3社に跨って運転される定期列車は存在しない。ただし、東京地下鉄の車両に限り直接ではないが1日に東武・東急両方の路線に乗り入れる運用はある(50S以降の偶数運行車両が該当)。 例:竹ノ塚行 → 中目黒行 → 北千住行 → 菊名行 → 北千住行 → 中目黒行 → 東武動物公園行 東武伊勢崎線直通列車も時刻によって東京地下鉄(03系)か東武(20000系系列)かどちらの車両が使用されるかが決まっている。日比谷線 → 東武伊勢崎線方面の直通は東武動物公園駅までであるが、東武伊勢崎線 → 日比谷線方面の列車については、2003年以降、早朝の運用において日光線南栗橋駅から直通する日比谷線直通中目黒行が1本運行される。ただし、運行されるのは東武車両のみ。 JR中央線(各駅停車)三鷹駅)[K] - 東西線 - 東葉高速鉄道東葉高速線東葉勝田台駅)[T]・平日の朝夕のみJR総武線(各駅停車)(津田沼駅)[K] 東葉高速鉄道の車両は、東西線を越えて三鷹・津田沼まで直通運転を行うことはなく、また、JRの車両は東葉高速鉄道には乗り入れない。そのため、JR中央線 - 東西線 - 東葉高速鉄道という運用はすべて東京地下鉄の車両で運行され、三鷹 - 東西線経由 - 津田沼で運転する運用は東京地下鉄かJRの車両で運行される。 また、昼間の東葉高速線直通はすべて快速で中野折り返し、JRの三鷹まで乗り入れるのはすべて各駅停車で西船橋折り返しとなっており、この時間帯に3社直通運転は行われない。前述の理由から昼間帯に東葉高速線内の各駅から東西線の快速通過駅を利用する場合は、必然的に西船橋駅または浦安駅での乗り換えを強いられる。 JR常磐線(各駅停車)取手駅)[K] - 千代田線 - 小田急小田原線本厚木駅)・多摩線唐木田駅)[E] 。 土休日運転の特急ロマンスカー箱根登山鉄道箱根湯本駅)まで運行される。JRと小田急の車両は、千代田線を越えて直通運転を行うことはないが、東京地下鉄の車両は、両社の路線への乗り入れや3社に跨る運行もある。東京地下鉄車両は上記区間内を運転することができるが、新百合ヶ丘以西の小田原線直通列車は原則的に小田急の車両のみの運用である。そのため、本厚木駅からJR線まで乗り入れる運用(その逆も含む)はない。また、新百合ヶ丘以西の小田原線へは一部の列車しか乗り入れない。かつては東京地下鉄車両による本厚木駅までの乗り入れもあった。 JRへの乗り入れは原則として我孫子駅までであり、取手駅まで乗り入れるのはJR・東京地下鉄どちらの車両も朝・夕の一部列車のみである。 東武東上線森林公園駅)[T]・西武池袋線有楽町線飯能駅)[M] - 有楽町線 東武東上線(森林公園駅)[T]・西武池袋線・有楽町線(飯能駅)[M] - 副都心線 東武車両が西武線に、西武車両が東上線に乗り入れることはないが、小竹向原 - 和光市間に西武車両が乗り入れる運用はある。西武線では、西武ドームでの野球開催時などに、延長運転で狭山線に入線して西武球場前まで運転されることがある。 Yマークが貼付された車両は有楽町線直通専用であり、副都心線には乗り入れない。 副都心線のみに8両編成の運用があるが、東京地下鉄の車両のみでの運行となる。 東急東横線の渋谷 - 代官山間地下化事業完成予定の2012年度から、東急東横線・横浜高速鉄道みなとみらい線とも直通運転を予定している。 東急田園都市線中央林間駅)[K] - 半蔵門線 - 東武伊勢崎線久喜駅)・日光線南栗橋駅)[T] 東武直通前の東急所属の列車記号はTを使用していたが、半蔵門線乗り入れ時でも表示していなかった。 東京地下鉄の車両のほか、東急(前面に東武乗り入れ非対応を示すKマークの付いた2000系・8590系と8500系の一部をのぞく)や東武の車両(30000・50050系)も、半蔵門線を越えて相互直通運転を行う。 東武線へはすべての列車が直通しているわけではないが、東急線へは基本的にすべての列車が乗り入れており、一体的な運用が行われている。 東武線への乗り入れは昼間帯の場合、久喜行きと南栗橋行きが交互に運行されている。 東急目黒線日吉駅)[K] - 南北線 - 埼玉高速鉄道線浦和美園駅)[M] 東京地下鉄の車両のほか、東急と埼玉高速鉄道の車両も南北線を越えて相互直通運転を行う。なお、ともに東急目黒線と直通運転している都営三田線東京都交通局)の車両は、目黒駅 - 白金高輪駅以外の南北線区間には乗り入れない。南北線および埼玉高速鉄道の車両も同様に、三田駅以遠の都営三田線には乗り入れない。

東京地下鉄銀座線

銀座線(ぎんざせん)は、東京都台東区浅草駅から渋谷区渋谷駅までを結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線鉄道要覧における名称は3号線銀座線である。
1927年昭和2年)に浅草 - 上野間で営業を開始した日本で最初の地下鉄である[1]。当時のポスター[2]では「東洋唯一の地下鉄道」というキャッチコピーが使われ、アジアオセアニア地域では初めての地下鉄路線である。
東京地下鉄(東京メトロ)の路線では丸ノ内線とこの銀座線のみ標準軌で、第三軌条集電方式を採用しているため他社路線との直通運転もない。
第三軌条集電方式を採用しているため、駅ごとに進入部のデッドセクションが存在し、2両ユニット方式で MG を搭載した1500N系をのぞき01系以前の車両では駅到着直前のデッドセクション通過時に室内灯が消灯し代わりに非常灯が点灯していた。また、前照灯も消灯し扇風機の電源も切れた。
トンネル断面が小さいゆえに車両自体も小さく(東京地下鉄の車体の規格の中で最も小さく、1両の車両長が 16 m ×6両で、1編成の長さは 96 m しかない)、そのため、1両あたりの乗車定員は少ない、車内冷房装置の屋外機が屋根に取り付けられない、などの制約が生じている。これは、建設費の節約のためである。初めての地下鉄建設とあって将来的な輸送の見込みを立てるのは困難であり、実際開業当時は十分な輸送力を持っていたのだが、現代に至っては輸送力不足を招く結果になってしまった。冷房装置については、1990年頃になって薄型装置が開発されたことにより屋根上に搭載できるようになったため、新造車には当初から冷房が搭載され、冷房装置なしで登場した車両にも冷房装置の設置が行われていた。今では01系車両の全編成に冷房装置が取り付けられている。
浅草上野日本橋銀座新橋赤坂青山渋谷といった東京都心のほとんどの繁華街やビジネス街を縫うように走る路線のため、利用客が多く日中でも3分に1本の割合で高頻度の運転がなされている。この路線の混雑緩和のために建設されたのが東京地下鉄半蔵門線である。また後発の他路線に比べて乗り場が浅く、田原町末広町虎ノ門外苑前など多数の駅で階段を降りるとすぐに改札口があり、改札口の先にすぐホームがあるという利用しやすい形態になっている。相対式ホームの駅ではそのほとんどで線路間の支柱がリベット組みの鉄骨となっており、日本最初の地下鉄の歴史を偲ぶことができる。
また、浅草駅にて松屋浅草店上野広小路駅にて松坂屋上野店三越前駅にて日本橋三越本店日本橋駅にて高島屋東京店銀座駅にて三越銀座店と松屋銀座店と松坂屋銀座店、渋谷駅にて東急百貨店東横店と繋がっている。
車両基地の上野検車区は地上と地下の2層構造になっており、地上車庫の入口箇所には日本の地下鉄では唯一となった踏切(しかも日本では珍しい、道路の通行が優先される軌道遮断式。同種のものはイギリスに存在する)が存在する。また、渋谷駅周辺が窪地となっていることから、同駅では東急百貨店東横店3階にあるホームから発着する(ただし、基盤整備によりホームを現在の東口バスターミナル付近に移設する計画がある)。
昭和30年代には渋谷から二子玉川園駅(現・二子玉川駅)へ延長する形で東急新玉川線の建設が計画されていたが、後に半蔵門線との接続に変更され、現在の東急田園都市線の形となった。一方、反対側の浅草から三ノ輪への延長計画があったが、1985年に中止された(現在計画されていた区間には首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが通っているが、三ノ輪付近に駅はない)。
赤坂見附駅溜池山王寄りには丸ノ内線とを結ぶ連絡線がある。銀座線車両の重点検整備の際の中野工場中野富士見町駅近在)や小石川CR茗荷谷駅近在)への回送のためにこの連絡線を通過する。過去には隅田川花火大会開催日の臨時列車「花火ライナー」(丸ノ内線新宿発浅草行)や浅草寺への参拝客向けの「初詣新春らいなー」、中野工場見学会などのイベント列車なども通過していた。2010年5月2日には映画『仮面ライダー×仮面ライダー×仮面ライダー THE MOVIE 超・電王トリロジー』の公開を記念したイベント列車「メトロデンライナー」が上野 - 赤坂見附 - 中野富士見町間で運転され、連絡線を通過した。なお2008年以降丸ノ内線がホームドア使用のワンマン運転となったこともあり、車両ドアとホームドアの位置の関係から、丸ノ内線駅ホームでの乗降を取り扱わないイベント列車をのぞいての直通運転は行われていない。
ホーム有効長が編成長ぎりぎりの駅が多いことから、オーバーラン防止と駅進入速度の向上による運転間隔の短縮・輸送力増強を図るために定位置停止装置 (TASC) が設置されている。

東京地下鉄日比谷線

日比谷線(ひびやせん)は、東京都足立区北千住駅から目黒区中目黒駅間を結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線鉄道要覧における名称は2号線日比谷線である。
1961年(昭和36年)に、南千住 - 仲御徒町間3.7kmで開業。当時は帝都高速度交通営団が運営していた。
1962年(昭和37年)の都市交通審議会答申第6号において、東京2号線は「中目黒方面より六本木、霞ケ関、築地、茅場町、上野及び三ノ輪の各方面を経て北千住方面に至る路線」として示された。1972年(昭和47年)の同答申第15号では終点が松原団地に改められ、北千住以北は東武伊勢崎線複々線化することとされた。その後、1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号では竹ノ塚 - 北越谷間の東武線複々線化が示されている。このうち、中目黒 - 北千住間は日比谷線として順次開業した。
都内の北東の北千住と西南の中目黒を、途中銀座を中心として上野築地霞ケ関六本木など要所を経由する路線である。北千住 - 南千住間は、隅田川を渡るため地上区間になっている。両端の駅では接続する東武伊勢崎線及び東急東横線と相互直通運転を行っている。ほとんどが開削工法で建設されたため、平面線形は半径200m以下で90度曲がるような急カーブが連続する。基本的には道路の下を通っているものの、カーブのために道路から大きくはみ出す箇所も複数存在する。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックに間に合わせるため、突貫工事で建設された(ほぼ同時期に建設された都営地下鉄浅草線は新橋 - 大門間が開通したのみで全線開通がオリンピックに間に合わず、開催期間中に工事が休止された)。
当路線が計画された当初の予測では、東急東横線からの乗客が多く8両編成で対応、東武伊勢崎線からの乗客は少なく6両編成で対応可能と見られていた。これは東急東横線沿線が宅地開発が進んでいたのに対し、東武伊勢崎線沿線はそれほど開発が進んでいなかったためである。このため、中目黒 - 八丁堀間は各駅のホームが8両編成対応で建設され、八丁堀駅には東急東横線からの8両が折り返しが可能な引き上げ線が設けられた。それに対して茅場町 - 北千住間は6両編成対応で建設された。しかし、この予想とは逆に東武伊勢崎線が日比谷線とつながったことにより東武伊勢崎線の利便性が向上し、沿線の宅地開発が急速に進み、同線からの旅客が急増した。このために東武線からの列車の8両編成化などの輸送力増強が急がれたというエピソードがある。なお、東急東横線からの乗客はそれほど増加しなかった。
東武伊勢崎線から都心方向へ向かう直通ルートとしては、他に2003年平成15年)に全線開業して相互直通運転を開始した半蔵門線もあるが、運行頻度や運賃、所要時間などの面で当線(あるいは北千住乗り換え千代田線)が優位に立つケースが多いため、半蔵門線開業後も混雑はさほど解消していない。

定期列車は全て各駅停車で、全線の所要時分は43分(表定速度は28.3km/h)である。5時00分 - 翌0時45分(平日、中目黒終着)の間、日中は5分間隔、最小で平日朝ラッシュ時2分10秒、夕ラッシュ時は2分30秒間隔の高頻度で運行されている。北千住駅から東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)東武動物公園方面、中目黒駅から東急東横線菊名方面とそれぞれ相互直通運転を行っているが、3社線直通運転は行われていない。直通先でも各駅停車(普通)として運転される。
基本的には全線通し運転であるが、朝夕時には南千住行・霞ヶ関行・六本木行のほか、八丁堀・広尾始発の区間運転もある。本路線に用いる自社車両(03系)の車両基地は南千住と東武伊勢崎線の竹ノ塚にある。竹ノ塚の千住検車区竹ノ塚分室は東武鉄道の西新井車庫を譲り受けたものである。
運用番号の末尾は、東武車がT、自社車がS、東急車がKである。運用番号は東武車が 01T - 41T、自社車が 02S - 72S の偶数と 61S・63S・65S、東急車が 81K - 85K である。
東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)直通 [編集] 日中は北千住発着と直通列車が10分間隔で交互に運行されている。北越谷駅発着(区間準急に接続)と東武動物公園駅発着が20分間隔で交互に設定されており、日中の北千住 - 北越谷間の各駅停車はすべて日比谷線直通列車となる。朝夕には竹ノ塚駅北春日部駅発着列車も運転され、東武日光線南栗橋駅始発の列車も朝に1本設定されている。乗り入れ区間の営業キロは33.9km(日光線を除く)。なお、2003年3月19日に半蔵門線の押上延伸に伴う同線 - 東武伊勢崎線直通列車が設定される前は現在よりも多く直通列車が設定されていた。
東急東横線直通 [編集] 朝夕は10 - 15分間隔で武蔵小杉駅菊名駅まで、日中は30分間隔で菊名駅まで運行される。乗り入れ区間の営業キロは16.6km。前述の通り2007年8月22日まで日中は主に日吉駅発着だった。なお、日中や土曜・休日の直通本数は2001年3月28日の「東横特急」運転開始時から大幅に削減された。その一方で中目黒駅での渋谷駅桜木町駅(後に元町・中華街駅)発着の列車との接続が考慮されている。
みなとみらい線直通 [編集] 東急東横線を介して北千住駅から横浜高速鉄道みなとみらい線の元町・中華街駅まで直通運転する臨時列車みなとみらい号」(開始当初は「横浜みらい号」)が運転されることがある。この列車は以前は本路線内でも急行運転を行っていた(途中停車駅は上野・仲御徒町・秋葉原・人形町・茅場町・八丁堀・東銀座・銀座・日比谷・霞ケ関・六本木・恵比寿)が、2007年4月21日運転分からは本路線内は各駅停車に変更されている。車両は東急1000系が使用される。この列車は以前にも2003年12月に「東京ミレナリオ号」として急行運転を行ったことがあったが、その際の車両には東京メトロ03系が使用されていた。

東京地下鉄丸ノ内線


丸ノ内線(まるのうちせん)は、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線東京都豊島区池袋駅 - 杉並区荻窪駅間を結ぶ本線と、中野区中野坂上駅 - 杉並区の方南町駅間を結ぶ分岐線(通称 方南町支線)から構成される。鉄道要覧における名称は4号線丸ノ内線および4号線丸ノ内線分岐線である。なお、新宿 - 荻窪間と中野坂上 - 方南町間は開業当時は荻窪線と呼ばれていた。
路線名の由来は、東京駅付近の地名である丸の内より。1970年の町名変更により千代田区の「丸ノ内」は「丸の内」と表記されるようになったが、地下鉄線の表記はそれ以降も「丸ノ内線」のまま変更されていない。
本線は池袋駅から東京駅を経て新宿駅まで山手線の内側をU字型に走行し、新宿からはそのまま直線的に荻窪駅まで走るルートをとる。方南町支線は、本線の中野坂上駅から分岐し、方南町駅まで至る。方南町支線の途中に車両基地があり、本線の列車も入出庫のため走行する。使用車両は本線が02系6両編成(車両基地への入出庫列車のみ方南町支線も走行)、方南町支線が同3両編成。
他路線との営業車両による直通運転は行われていないが、赤坂見附駅の国会議事堂前駅側に銀座線との渡り線があり、同線車両の点検整備のために中野工場へ回送される列車が通る。過去には同線車両による隅田川花火大会(「花火ライナー」、荻窪発浅草行)などのイベント臨時列車運行時に利用されることがあった。
東京地下鉄の路線では銀座線とこの丸ノ内線のみ標準軌で、第三軌条集電方式を採用している。このため、駅や分岐器の前後にデッドセクションが存在するが、丸ノ内線では02系以前から、銀座線より方南町支線用に転用された2000形を除いて車両に MG(電動発電機)を搭載することで室内灯の消灯を防止していた。
なお、丸ノ内線の建設以降は郊外各線との直通を行うため架空線式で建設されたため、東京の地下鉄としては最後の第三軌条方式の路線となった。
茗荷谷 - 後楽園間、御茶ノ水 - 淡路町間の神田川橋梁、四ツ谷駅と地上区間がこまめに存在することも特徴の一つである。また、地下鉄は用地買収の都合から公道の地下を通す場合が多いが、当路線は私有地の地下を通っている部分が多い。サンシャイン60通りのように、地下鉄の完成した後から、その上部に道路が整備された例もある。

1925年大正14年)3月30日に内務省が告示した東京都市計画高速度交通機関路線網の5路線のうちの第4号線新宿 - 四谷見附 - 日比谷 - 築地 - 蛎殻町 - 御徒町 - 本郷三丁目 - 竹早町(文京区小日向付近) - 大塚間 20.0 km に位置付けられたルートを前身とする路線である。
1942年昭和17年)6月に赤坂見附 - 四谷見附(弁慶濠)間 1.2 km の建設に着手したが、太平洋戦争の戦局悪化により1944年6月に工事中止となっていた。その後1946年(昭和21年)12月7日に従来の計画を改訂した「東京復興都市計画高速鉄道網」が告示され、この時の第4号線は中野区富士見町 - 新宿 - 四谷 - 赤坂見附 - 永田町 - 日比谷 - 東京 - 神田 - 御茶ノ水 - 本郷三丁目 - 富坂町 - 池袋 - 豊島区向原町の 22.1 km である。
1949年(昭和24年)12月12日、営団は第4号線のうち池袋 - 神田間 7.7 km の建設を決定し、1951年(昭和26年)3月30日、池袋駅東口で起工式が開催された。
1953年(昭和28年)11月4日には、国鉄神田駅付近を経由することが予算的、工期的、技術的に困難なことが明らかとなり、大手町を経由するルートへの変更を告示する。東京 - 御茶ノ水間は中央線によって結ばれている。
1962年(昭和37年)の都市交通審議会答申第6号において、東京4号線「荻窪および方南町の各方面より中野坂上、新宿、赤坂見附、西銀座(現・銀座駅)、春日町、池袋および向原(小竹向原駅)の各方面を経て成増方面に至る路線」として示された。その後、1968年(昭和43年)の同答申第10号では、終点が成増から池袋へと短縮され、池袋以西は8号線として分離された。

山手線の新宿 - 池袋間が開いたU字型の路線のため、山手線内部での比較的短距離の流動が多く、これに沿ったダイヤになっており、本線と支線の列車は中野坂上駅で相互連絡するようにダイヤが組まれている。
全線を通した所要時分は本線で49分40秒、支線では6分25秒となっている。
池袋 - 荻窪間 [編集] 平日:朝1分50秒間隔(日本一の高密度運転間隔)、日中4分間隔、夕方2分15秒間隔(いずれも新宿駅・池袋駅間)
池袋 - 荻窪間の通し運転と、池袋 - 新宿間折り返し運転を基本とする(日中は12分に荻窪直通2本、新宿折り返し1本)。朝夕と深夜には車両基地への入出庫のため池袋 - 支線中野富士見町間の列車や茗荷谷・後楽園・中野坂上始発・終着の列車が存在する。
車両は02系の本線用6両編成を使用する。
中野坂上 - 方南町間 [編集] 平日:朝4 - 5分間隔、日中5 - 12分間隔、夕方4 - 6分間隔
基本は中野坂上 - 方南町間折り返し運転。このほか、朝夕と深夜に池袋 - 中野富士見町間列車、朝に中野富士見町 → 方南町間列車、1往復のみ荻窪 - 中野富士見町間列車(早朝は荻窪行き、終電は中野富士見町行き。ともに中野坂上駅で方向転換を行う)がある。
車両は基本的に方南町支線専用車である02系80番台3両編成が使われるが、本線から中野富士見町との間を直通する列車(中野検車区との入出区のための運用)は本線用の車両が使用される。このため方南町支線内の駅は、方南町以外全て6両編成分のホーム有効長を確保し、ホームドアにも対応している。現在運用中の支線専用02系80番台は、開業以来初めて方南町支線専用に製造された車両で、本線とのサービス格差をなくす目的で1996年に登場した。それまでは、本線との直通列車を除き、銀座線で使われていた100形(1968年5月運用終了)、2000形(1993年7月運用終了)、本線運用から外れた500形(1996年7月運用終了)といったすべて非冷房の中古車両が永らく主力として使用されていた。

東京地下鉄副都心線

副都心線(ふくとしんせん)は、埼玉県和光市和光市駅から東京都渋谷区渋谷駅を結ぶ東京地下鉄(東京メトロ)の鉄道路線である。鉄道要覧における名称は13号線副都心線である。和光市駅 - 小竹向原駅間は有楽町線と線路・駅・施設を共用し、小竹向原駅 - 池袋駅間は同線との複々線区間として並走している。
路線名は、池袋新宿渋谷の三大副都心を縦断する路線の特色をイメージしている。路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラー

計画・建設時 [編集] 副都心線は、東京圏の鉄道網整備計画において東京13号線として構想されたもので、1972年の都市交通審議会答申第15号において、8号線から削除した成増 - 向原間に志木 - 成増間および向原 - 新宿間を加え、「志木から和光市成増向原池袋東池袋、目白東、諏訪町、西大久保を経由して新宿へ至る路線」として初めて示された。同時に志木 - 和光市間は東武鉄道東上線複々線化する旨ならびに新宿より渋谷品川を経て羽田空港方面への延伸を検討する旨も併せて示された。その後、1985年運輸政策審議会答申第7号では池袋以南の南下について終点を渋谷とすることが示された。
このうち、志木 - 和光市間は東武東上線の複々線化を実施し、和光市 - 小竹向原駅は有楽町線として、小竹向原 - 池袋間は有楽町線新線としてそれぞれ開通した。有楽町線新線は、副都心線開業までの間「有楽町新線」または単に「新線」と案内され、同線の終着であった池袋駅は広く「新線池袋」と案内されていた。
小竹向原 - 池袋間の先行建設 [編集] 第13号線が計画された当時、第13号線の開業時期は相当に先になることが予想されていた。しかし、有楽町線との一体建設によるコスト圧縮、沿線住民への配慮、道路占有手続きなど総合的に判断して小竹向原 - 池袋間を有楽町線と同時に建設することになった[2] 。また、この区間は、手続き上は有楽町線の複々線部として取り扱うことになった。
このため、1977年9月に小竹向原 - 池袋間を複々線とする工事計画変更認可を受け、同区間の建設に着手した。この区間は用地節約のため、上下2段構造のトンネルとしている。有楽町線の上段部は1983年6月に開業し、13号線となる下段部(現在の副都心線部)は1985年8月に池袋駅(後の新線池袋駅、現在の副都心線池袋駅)の完成により、すべての地下構造物の構築を完了した。
しかし、有楽町線池袋以西の混雑緩和のため、13号線の開業に先がけて小竹向原 - 池袋間の13号線区間を先行開業することが決定された。
このため、1992年5月から1994年10月にかけて下段トンネルの清掃、漏水処理、新線池袋駅にエレベーターエスカレータ設置工事など内装工事、出入口構築、電気工事等を行い1994年12月7日に開業することになった。この開業時点では「新線池袋駅」と呼称することになった[2]。この区間の開業式では「有楽町線複々線 小竹向原 - 池袋開通」と書かれていた。
本路線として計画された和光市 - 小竹向原間は都市交通審議会答申第15号によって第13号線となったが、建設費用については有楽町線として計上された。また、この小竹向原 - 新線池袋間の建設費用は1992年度 - 1994年度で計上され、計126億6,016万6,000円を要した[3]
池袋 - 渋谷間の建設 [編集] 北参道駅建設工事
(2006年4月 明治通り上) 池袋 - 渋谷間の地方鉄道敷設免許は、同じ第13号線の和光市 - 成増間の申請とともに1975年9月2日に認可申請をしていた。しかし、翌1976年8月11日に和光市 - 成増間の敷設免許は交付されたが、池袋 - 渋谷間の地方鉄道敷設免許の交付は保留となり、以来は免許申請中状態が続いていた。
その後、政府長引く不況への景気回復策として1998年11月に緊急経済対策を策定し、翌月に補正予算の編成を行った。そして、地下鉄13号線については整備による地域経済の活性化、雇用の拡大などによる景気回復に有効である、との理由から建設予算の確保に至った。
この補正予算の編成に合わせ、当時の帝都高速度交通営団(営団地下鉄)は池袋新宿渋谷といった3大副都心への重要なアクセス、JR山手線JR埼京線に対する混雑緩和へ寄与するなど、建設によるメリットが大きいことから地下鉄13号線の建設を進めることを決定した。
このため、1975年以来申請中であった地方鉄道敷設免許→改正により第1種鉄道事業免許の追加申請を1998年12月17日に実施した。そして、1999年1月25日に池袋 - 渋谷間の第1種鉄道事業免許を取得した。その後、各種手続きを経た2001年6月15日に同区間の建設が開始された(2004年4月1日に営団が民営化され建設は東京地下鉄に継承)。また、同時に有楽町線新線部分に千川駅要町駅を設置する工事も着工された(将来の駅設置に向け、有楽町線新線開業時から千川・要町両駅では準備工事がなされていた)。
池袋 - 渋谷間の建設に当たっては、営団地下鉄が1951年の丸ノ内線建設を施工して以来、半世紀にわたり培ってきた地下鉄建設技術を集結させた上、各種の新技術を採用した。このことから「環境負荷低減への積極的な取り組み」「建設コストの削減」「建設工事に関する沿道とのコンセンサス形成」の3点に重点を置いて建設を行った。
本区間で新設した7駅のうち、雑司が谷駅西早稲田駅駅シールド工法で建設されており、それ以外の駅は開削工法で建設されている。東新宿駅急行待避線を設置する関係で2段構造の駅としている。また、新宿三丁目駅構内には渋谷方からの折返し用の引き上げ線が設置されている。本区間の建設にあたっては計10台のシールドマシンが使用された。
駅間は池袋駅 - 新宿三丁目間が単線シールド構造、新宿三丁目 - 渋谷間は複線シールド構造を採用している。このうち、明治神宮前 - 渋谷間の複線シールドには新たに開発した複合円形複線シールドを採用した。このトンネルは従来の丸形シールドトンネルよりも上下方向に圧縮した楕円形の断面とし、土砂掘削量の削減やトンネル下部に使用するコンクリート材を減少させ、従来のシールドトンネルと同等のコストに抑えている。
2007年1月24日、13号線の路線名を「副都心線」とすることが発表された。合わせて建設中の正式な駅名も発表し、池袋駅側から順に雑司谷(雑司谷)、西早稲田、東新宿(新宿七丁目)、新宿三丁目、北参道(新千駄ヶ谷)、明治神宮前とした(カッコ内はそれまでの仮称)。
副都心線は開業当初から終端の和光市駅東武東上線森林公園駅まで、途中の小竹向原駅では西武有楽町線を介して西武池袋線飯能駅まで相互直通運転を行っている。
さらに、2012年度(平成24年度)にはもう一方の終端駅である渋谷駅東急東横線との相互直通運転が開始される予定である。この相互直通運転開始と同時に東横線(現在の副都心線ホーム)・田園都市線半蔵門線)の両ホームを一体的に管理するため、同駅は副都心線開業当初から東京急行電鉄(以下「東急電鉄」)の100%子会社である東急レールウェイサービスが駅管理業務を行っている[6]。駅構内の旅客向け案内板や発車標などは東急仕様であるが、接近放送や発車メロディーについては東京地下鉄のものが使用されている。また、東横線の終着駅である横浜駅から先は横浜高速鉄道みなとみらい線に乗り入れており、東横線とみなとみらい線は終日にわたり相互直通運転を実施するなど、事実上一つの路線と化している。このため、みなとみらい線も東横線を経由して副都心線との相互直通運転が行われることになる。
現在、東横線とみなとみらい線はすべての列車が8両編成であるが、副都心線への乗り入れを機に優等列車(特急・通勤特急・急行)を10両編成に増強するため、これら2路線の優等列車停車駅(中目黒・学芸大学・自由が丘・田園調布・多摩川・武蔵小杉・日吉・綱島・菊名・横浜・みなとみらい・馬車道・日本大通り・元町・中華街の各駅)では10両編成の列車が停車できるようにホーム延伸工事を行っている。ただし、各駅停車については従来通り8両編成での運転となるため、副都心線の各駅停車には開業時から8両編成の運用が存在している。
なお、東横線は副都心線との相互直通運転が開始されると同時に渋谷駅のホームが現在の副都心線ホームに移設され、東横線・副都心線の共用駅になるため、現在の東横線渋谷駅高架式ホームは廃止される。高架式ホーム廃止・撤去後にこの跡地を活用し、現在離れた位置にあるJR東日本埼京線湘南新宿ライン成田エクスプレスの島式1面2線ホームを山手線とほぼ平行して移設・新設する予定である。
さらに、東急電鉄は2019年4月開業を目指し相模鉄道(以下「相鉄」)との相互直通運転も計画している。これは、東急電鉄の日吉駅から新横浜駅を経由して相鉄線西谷駅に至る連絡線(総延長12.7キロ)を新設する計画である(「神奈川東部方面線」を参照のこと)。しかし東武東上線・西武池袋線・副都心線からの列車も東横線を介して相鉄方面へ乗り入れるのかなど、相互直通運転に関する具体的な列車運用などは決まっていない。西武鉄道の広報は「本路線(相鉄・東急直通線)が完成した場合でも現時点で西武線内から副都心線、東急線を介して相鉄との直通は実施しない」ことを明らかにしている。

東京地下鉄有楽町線

有楽町線(ゆうらくちょうせん)は、埼玉県和光市和光市駅から東京都江東区新木場駅までを結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線である。都市交通審議会における路線番号の区間は、小竹向原駅 - 新木場駅間が8号線、和光市駅 - 小竹向原駅間が13号線であるが、国土交通省監修『鉄道要覧』では和光市駅 - 新木場駅間が8号線有楽町線と記載されている。
路線名の由来は、銀座に隣接する有楽町駅に接続していることから。車体および路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「ゴールド」(
1968年(昭和43年)の都市交通審議会答申第10号において、東京8号線は、「成増及び練馬の各方面より向原及び池袋の各方面を経由し、また、中村橋方面より目白方面を経由し[1]護国寺飯田橋市ヶ谷永田町有楽町及び銀座の各方面を経て明石町方面に至る路線」として初めて示された。
その後1972年(昭和47年)の答申第15号では起点側が保谷に変更され、終点側は明石町 - 湾岸間及び豊洲 - 東陽町 - 住吉町 - 押上 - 亀有間が追加された。なお、同答申では保谷 - 練馬間は西武池袋線複々線することが示されたほか、中村橋 - 護国寺間は削除され、護国寺 - 目白間が東京12号線に編入され、志木 - 向原間は東京13号線として分離された。このうち小竹向原駅 - 新木場駅間が有楽町線として順次開業している。終点側は京葉間の湾岸沿いに海浜ニュータウン付近まで計画されていたが、ほぼ同じルートで計画されていた京葉線が当時は貨物専用線として計画が進行しており、後に旅客線へと用途が変更されたことを受けて有楽町線は新木場までに計画路線を短縮した。
一方、上記答申第15号で新たに13号線とされた小竹向原以西については、渋谷駅 - 池袋駅 - 小竹向原駅 - 和光市駅 - 志木駅のうち池袋駅 - 小竹向原駅 - 志木駅間が建設され、このうち小竹向原駅 - 和光市駅間が有楽町線として、和光市駅 - 志木駅間が東武東上線の線増分(複々線化)としてそれぞれ開業した[2]。なお、13号線の小竹向原駅 - 池袋駅(新線池袋駅)間は有楽町線新線(現・副都心線)として1994年に営業開始している。
建設目的の一つには、車体規格が小さく編成長も短いことから輸送力増強に限界のある丸ノ内線の混雑緩和があった。池袋駅の乗換えが便利であったため、日比谷線に対する千代田線同様、混雑の緩和に大きく寄与した。 また、1974年(昭和49年)の銀座一丁目 - 池袋間の開業にあたり、当時の営団として丸ノ内線中野坂上駅に次いで自動改札が導入された。これは、当該区間では他線との改札内連絡がなかったため、自動改札の実験線区として好適であったためである。しかし、当時は他の路線の駅が有人改札であり、乗車券の裏面が白色の非自動化券であったため、それを自動改札に投入されるトラブルが相次いだため、営団成増(現・地下鉄成増)延長時に撤去され、当時の試みは失敗に終わっている。その他、大手町駅で採用された案内サインシステムを全面的に採用した。
沿線には、警察庁警視庁皇居国会議事堂といった日本の重要機関・施設や、ホンダ世界本社・ホンダ・レーシング理化学研究所本社・本田技術研究所本社などの自動車会社や研究機関、講談社日本テレビ(旧本社)・TOKYO FM朝日新聞日刊スポーツスポーツニッポンといった報道機関出版社などが存在する。
13号線については新線池袋駅から西早稲田新宿三丁目を経て渋谷駅に至るルートが2008年平成20年)6月14日東京地下鉄副都心線として開業した。さらに、副都心線は2012年度(平成24年度)から渋谷駅から東急東横線経由でみなとみらい線まで乗り入れる予定である。また、今後の整備計画として8号線については豊洲駅から分岐して野田市駅までの延伸計画がある(詳細は「都市高速鉄道8号線延伸構想」の節を参照)。なお、この区間は営団地下鉄が1982年(昭和57年)1月29日に豊洲 - 亀有間(14.7km)の鉄道事業免許を申請している[3]。ただし、その後事業免許の交付はされていない。
東京地下鉄で東京23区外に伸びている路線は、当線との重複区間がある副都心線を除くと当線と東西線のみである。

東京地下鉄東西線

東西線(とうざいせん)は、東京都中野区中野駅千葉県船橋市西船橋駅を結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線鉄道要覧における名称は5号線東西線である。
路線名の由来は東京を東西に横断する意味から。車体及び路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「スカイブルー」(水色)、
名称の通り、東京の東西に延びる路線である。路線はその西端の中野駅から東京都心部を横断し、さらに東方向へ進み、葛西 - 浦安間の旧江戸川以東は千葉県内となる。帝都高速度交通営団(現:東京地下鉄株式会社)では初めての東京23区以外への路線となった。後に有楽町線副都心線埼玉県内に路線が伸びたが、有楽町線・副都心線唯一の23区外の駅である和光市駅東武鉄道の管理駅であるため、23区外に東京地下鉄管理駅を持つのは2011年現在においても東西線のみである。
西側で東日本旅客鉄道(JR東日本)の中央線(各駅停車)三鷹まで、東側ではJR東日本の総武線(各駅停車)津田沼まで、および東葉高速鉄道東葉高速線とも直通運転を行う。車両は各社とも20m級車両10両編成で統一されている。

東京メトロ銀座線 渋谷、表参道、外苑前、青山一丁目、溜池山王、虎ノ門、上野
東京メトロ丸ノ内線 池袋、新大塚、茗荷谷、後楽園、本郷三丁目、御茶ノ水、四ツ谷、四谷三丁目、新宿御苑前、新宿、西新宿、中野坂上、中野新橋、方南町、新中野、東高円寺、新高円寺、南阿佐ヶ谷、荻窪
東京メトロ日比谷線 中目黒、六本木、神谷町、築地、人形町、小伝馬町、上野、三ノ輪
東西線(東京・千葉) 中野、落合、高田馬場、早稲田、神楽坂、飯田橋、九段下、門前仲町、東陽町、南砂町
東京メトロ千代田線 代々木公園、表参道、乃木坂、新御茶ノ水、根津、千駄木、西日暮里、綾瀬、北綾瀬
東京メトロ有楽町線 辰巳、豊洲、月島、永田町、麹町、市ヶ谷、飯田橋、江戸川橋、護国寺、東池袋、池袋、要町、千川、小竹向原、氷川台、平和台、地下鉄赤塚、地下鉄成増、和光市
東京メトロ半蔵門線 渋谷、表参道、青山一丁目、永田町、半蔵門、九段下、神保町、水天宮前、住吉
東京メトロ南北線 目黒、白金台、白金高輪、麻布十番、六本木一丁目、溜池山王、永田町、四ツ谷、市ヶ谷、飯田橋、後楽園、東大前、本駒込、駒込、西ヶ原、王子、王子神谷、赤羽岩淵
東京メトロ副都心線 渋谷、東新宿、西早稲田、雑司が谷、池袋、要町、千川、小竹向原、氷川台、平和台、地下鉄赤塚、地下鉄成増、和光市
都営浅草線 五反田、高輪台、泉岳寺、三田、大門、人形町
都営三田線 目黒、白金台、白金高輪、三田、芝公園、御成門、神保町、水道橋、春日、白山、千石、巣鴨、西巣鴨、新板橋、板橋区役所前、板橋本町、本蓮沼、志村坂上、志村三丁目、蓮根、西台、高島平、新高島平、西高島平
都営新宿線

東京メトロ南北線 目黒、白金台、白金高輪、麻布十番、六本木一丁目、溜池山王、永田町、四ツ谷、市ヶ谷、飯田橋、後楽園、東大前、本駒込、駒込、西ヶ原、王子、王子神谷、赤羽岩淵
東京メトロ副都心線 渋谷、東新宿、西早稲田、雑司が谷、池袋、要町、千川、小竹向原、氷川台、平和台、地下鉄赤塚、地下鉄成増、和光市
都営浅草線 五反田、高輪台、泉岳寺、三田、大門、人形町
都営三田線 目黒、白金台、白金高輪、三田、芝公園、御成門、神保町、水道橋、春日、白山、千石、巣鴨、西巣鴨、新板橋、板橋区役所前、板橋本町、本蓮沼、志村坂上、志村三丁目、蓮根、西台、高島平、新高島平、西高島平
都営新宿線 新宿、曙橋、市ヶ谷、九段下、神保町、馬喰横山、浜町、住吉
都営大江戸線 東新宿、若松河田、牛込柳町、牛込神楽坂、飯田橋、春日、本郷三丁目、門前仲町、月島、勝どき、築地市場、汐留、大門、赤羽橋、麻布十番、六本木、青山一丁目、新宿、都庁前、西新宿五丁目、中野坂上、東中野、中井、落合南長崎、新江古田、練馬、豊島園、練馬春日町、光が丘
都電荒川線 早稲田、面影橋、学習院下、鬼子母神前、都電雑司ヶ谷、東池袋四丁目、向原、大塚駅前、巣鴨新田、庚申塚、西ヶ原四丁目、滝野川一丁目
日暮里・舎人ライナー

東京地下鉄半蔵門線

半蔵門線(はんぞうもんせん)は、東京都渋谷区渋谷駅から墨田区押上駅までを結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)の鉄道路線。鉄道要覧における名称は11号線半蔵門線である。
1968年(昭和43年)の都市交通審議会答申第10号において、東京11号線は「二子玉川方面より三軒茶屋、渋谷、神宮前、永田町、九段下、神保町および大手町の各方面を経て蛎殻町方面に至る路線」として初めて示された。1972年(昭和47年)の同答申第15号では終点が深川扇橋へと延長され、その後1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号において、錦糸町、押上経由で松戸へとさらに延長された。このうち渋谷 - 押上間が半蔵門線として順次開業している。
千代田線有楽町線に次ぐ「バイパス3路線」の一つで、銀座線の混雑緩和を狙いとしていたが、沿線の地権者による反対運動が発生したこと、さらにバブル崩壊とそれに伴う営団の減収などが原因で押上までの開通が当初予定より大きく遅れることとなった。半蔵門 - 九段下間では地下鉄建設に当たっての説明不足や環境悪化を理由に一坪共有運動が起こった。このため、営団(当時)は土地収用法を基に強制収用の申請をしたが、一連の土地買収に10年ほどの期間を要した。
半蔵門線は東京メトロの路線の中で全駅間の所要時間が最も短く(距離は銀座線の方が2.5km短い)、また現在東京メトロの路線の中で最も駅数が少ない。 ちなみに、直通運転先(東急田園都市線中央林間 - 東武日光線南栗橋間)を含めた運行距離は98.5kmにも及び、これは東京メトロの路線の中で最長である。
半蔵門線は東京メトロの路線としては南北線とともに全線・全駅が地下に位置する路線となっている(その他の路線は地上区間・地上駅がある)。
2010年平成22年)現在未開業の押上 - 四ツ木 - 松戸の区間については、2000年(平成12年)の運輸政策審議会答申第18号で「2015年(平成27年)までに整備着手することが適当である路線」として位置付けられている。 1998年(平成10年)からは柏、我孫子、松戸の各市をはじめ茨城県の龍ケ崎、牛久、つくばなどの自治体で「地下鉄11号線延伸市町協議会」も結成され、松戸から柏市南部・我孫子市布佐方面さらに茨城県までの延伸も国などへ要請している。
東京地下鉄内での路線記号で唯一、路線名の最初の頭文字のアルファベット記号が使われていない。これは日比谷線が「日」のアルファベットの頭文字がHの記号で、半蔵門線の「半」のHと同じになってしまい、それから順に「半」の文字が、A(浅草線)・N(南北線)と記号が続いて重なってしまうため、半蔵門線は「蔵」のZが振られた
東京急行電鉄(東急)、東武鉄道(東武)と3社相互直通運転をしており、半蔵門線を挟んで東急側は渋谷から田園都市線中央林間まで、東武側は押上から東武伊勢崎線久喜、および東武動物公園から分岐し日光線南栗橋までそれぞれ運転される。半蔵門線のみの運転となる列車は5:08半蔵門発の押上行1本のみで、その他は東急田園都市線へすべての定期列車が直通し一体的に運用されている。
東武伊勢崎線への直通列車は、南栗橋までの直通運転を開始した当初は日中1時間3本で約20分毎・東武線内は区間準急(停車駅は現在の準急と同じ)で運転し、そのうち3分の2は東武動物公園止まりの運転だったが、直通開始後3年経った2006年3月18日ダイヤ改正からは久喜発着の列車が新たに設定されたことで、深夜早朝と9時台を除き1時間6本(約10分毎)となった。基本的に南栗橋行きと久喜行きが交互に運行されるが、時間帯やダイヤの都合により、東武動物公園や北越谷(準急)発着もある。なお、直通列車は急行または準急(朝・夜間のみ運転)に限られる。
乗り入れ先の鉄道会社の運用・乗客案内上、急行・準急・各駅停車と3つの列車種別の表記が使用されることになるが、いずれも半蔵門線内はすべて各駅停車となる(臨時列車除く)。また、これらの種別は1つの列車につき直通3社間で必ずしも一定ではなく、例えば東武伊勢崎線内では急行運転でも、東急田園都市線内で引き続き急行運転とは限らない。東武伊勢崎線・日光線に直通運転する東急田園都市線の列車は渋谷駅で東武線内種別である急行または準急に、東急田園都市線に直通運転する東武伊勢崎線の列車は押上駅で東急線内種別である急行または各駅停車にそれぞれ列車種別が変化する。これは都営浅草線でも見られる運行形態である。 また、南北線と同様に半蔵門線内では「各駅停車」の表示を行わない(南北線の直通先の東急目黒線と違い、田園都市線は各駅停車の表示を行わない)。なお、東急線内では、東武線直通列車の東武線内種別は案内されないが、東武線の場合、駅備え付けの時刻表や各駅に設置された発車標でも東急線内種別が表示される。
半蔵門線内の日中の運転間隔は5分。押上方面は、東武線直通の急行(久喜発着と南栗橋発着が交互)と押上発着が交互に運転され、渋谷方面は、各駅停車(鷺沼で急行待ち合わせ)・各駅停車(桜新町で急行通過待ち・長津田で急行待ち合わせ)・急行の順に運転される。なお、日中の東急線内急行の列車は押上発着と東武線直通(久喜発着と南栗橋発着が交互)が交互に運転される。
朝ラッシュ時の押上方面には、半蔵門清澄白河折り返しの列車や、東武線直通の北越谷折り返しの準急がある。一方、渋谷方面には鷺沼行や長津田行も設定されている。なお、朝ラッシュ時の押上方面は渋谷駅 - 半蔵門駅間で2分10秒間隔と運行本数が非常に多い。
日中の清澄白河折り返しの列車は2003年3月の押上延伸当初は15分間隔で設定されていたが、2006年3月18日改正で30分間隔に半減され、2009年6月6日改正で全廃された。特に、土休日の清澄白河発着に関してはA線(押上方面)の21時台の1本と最終の清澄白河行きの合計2本、およびB線(渋谷方面)6時台の1本を除きすべて廃止された。
渋谷駅東京急行電鉄田園都市線  (中央林間駅まで直通運転)東横線 東京地下鉄銀座線副都心線 ( 東日本旅客鉄道山手線埼京線湘南新宿ライン 京王電鉄井の頭線 渋谷区 表参道駅 東京地下鉄: 銀座線 ・ 千代田線 港区  青山一丁目駅  東京地下鉄: 銀座線 都営地下鉄大江戸線 永田町駅  東京地下鉄: 有楽町線南北線 、 銀座線(赤坂見附駅)・ 丸ノ内線(赤坂見附駅) 千代田区 半蔵門駅九段下駅 東京地下鉄: 東西線 都営地下鉄: 新宿線 神保町駅  都営地下鉄: 三田線 ・ 新宿線大手町駅 東京地下鉄: 丸ノ内線・ 千代田線 ・ 東西線都営地下鉄:三越前駅 東京地下鉄: 銀座線 東日本旅客鉄道:総武線(快速)新日本橋駅中央区水天宮前駅 清澄白河駅都営地下鉄: 大江戸線江東区住吉駅 都営地下鉄: 新宿線錦糸町駅  東日本旅客鉄道:総武線(快速)・総武線(各駅停車) 墨田区押上〈スカイツリー前〉駅

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