渋谷区TOWN情報

渋谷区は東京における城西地区に位置し、千代田区中央区港区新宿区とともに「都心5区」に数えられる。
ターミナル駅である渋谷駅を中心とした渋谷地区副都心のひとつとなっているほか、新宿駅に程近い代々木千駄ヶ谷新宿のオフィス街・繁華街と一体となっている。また、青山(港区)に隣接する原宿表参道はファッションの中心として知られるほか、代官山周辺や恵比寿などには商業施設やファッション関連の産業が集積している。さらに渋谷区は明治神宮代々木公園など、都心にありながら広大な緑地を有しており、周辺には松濤代々木上原といった都内有数の高級住宅地も点在している。また、同様に高級住宅地として知られる広尾麻布区に起源を持ち、現在でも麻布に近い地域性を持つ。
一方、区内北部、とりわけ甲州街道京王線沿いよりも北側の地区は中野区新宿区に続く過密な住宅商業地区となっており、他の町域とは趣を異にする。
西武は通りの名称を「スペイン坂」、そして区役所通りを「渋谷公園通り」などに変え、東急は通りの名前を「栄通り」から本店開業後「東急本店通り」に変更、後年に「文化村通り」へと変え、再開発も同時に進めることで現在の街並みが形作られていった

渋谷パルコ劇場、クラブ・クアトロ、シネセゾン渋谷、スタジオパルコなど、ライブハウス劇場映画館が多く、映画祭や音楽祭も開催される。作家性にこだわった個性的な作品を上映する映画館も多い。篠山紀信写真展など多くの企画展を開催してきたパルコミュージアム(2007年閉館)、新しい情報発信スペースのパルコファクトリー、ロゴスギャラリーなどでも、アートから社会性の高いテーマまでを扱った様々な企画展示をしている。「TOKYO FM渋谷スペイン坂スタジオ」などラジオ局のサテライトスタジオもある。東急は東急文化会館跡地に都内最大規模のミュージカル劇場を建設する予定である。

SHIBUYA109(渋谷)

109(イチマルキュー)は、東京急行電鉄の完全子会社である東急モールズデベロップメント(TMD)が展開するファッションビル
SHIBUYA109(渋谷)
渋谷区渋谷で展開するセゾングループ渋谷公園通りの開発に対抗して、東急グループ東急百貨店本店に続く東急本店通り(現・文化村通り)に顧客を吸引するために、TMDの前身である旧「東急商業開発」が1979年昭和54年)4月東京都渋谷区道玄坂二丁目の道玄坂下交差点に面した鋭角の角地にオープンさせた「ファッションコミュニティ109」(現・SHIBUYA109)が初の店舗であり、今なお売上の多くを占める旗艦店である。
開業当初は20代後半から30代の女性向けテナントを集積させていたが、その後方針を転換。現在では店内のほとんどが10代後半から20代前半の女性向けのテナントで占められている。その購買層からは「マルキュー」の略称で呼ばれている。 鋭角の立地を活かした円柱形のエレベーター・タワー(シリンダーと呼ぶ)が特徴の設計は、ポストモダン建築で有名な竹山実による。アルミパネルで覆われたその壁面は、渋谷駅ハチ公口前の渋谷駅前交差点(スクランブル)などからも容易に見通せるため、化粧品携帯電話や旬の歌手などの広告が掲げられ、その時々の商業戦略をうかがうことができる。
また、正面玄関前および道玄坂側の店舗前にある「109スクエア」は、シリンダー広告と連動、あるいは単独でのイベントスペースとなっている。新製品のプロモーション、サンプリング、タレントの出演など、店舗の顧客層をターゲットにすることはもちろん、地の利により多数の通行人の目に付きやすいため、週末を中心に宣伝媒体の一つとして利用されている。なお、シリンダー広告のスポンサーの決定後にイベントスペースのスポンサーが決定するため、広告が競合する場合は利用できないことがある。
渋谷のシンボルとして定着しているため、『ガメラ3 邪神覚醒』、『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』、『ドラゴンヘッド』、『日本沈没』など多くの作品で破壊される描写が登場する。
かつてはBunkamuraなどとともに東急線の車両のつり革に広告を出しており、地方に譲渡されたこれらの車両には当時の広告がいまだに残っているものもある。

明治神宮

明治神宮(めいじじんぐう)とは、東京都渋谷区にある神社明治天皇昭憲皇太后を祭神とする。初詣では例年日本一の参拝者数を集める。
明治神宮は、明治天皇昭憲皇太后を御祭神とする神宮である。
面積約70万平方メートルの境内はそのほとんどが全国青年団の勤労奉仕により造苑整備されたもので、現在の深い杜の木々は全国よりの献木が植樹された。また、本殿を中心に厄除・七五三などを祈願を行う神楽殿、「明治時代の宮廷文化を偲ぶ御祭神ゆかりの御物を陳列する」宝物殿、「御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する」至誠館などがある。
明治天皇は崩御後、京都の伏見桃山御陵に葬られたが、東京に神宮を建設したいとの運動が天皇を崇敬する東京市民(当時)から起こり、1914年大正3年)になると天皇に縁の深かったこの地への神宮建設が決定した。造営は翌1915年大正4年)から開始され、全国から13,000人もの国民が労力奉仕に自発的に参加した。鎮座祭は、1920年大正9年)11月1日に行われた。
22万(約73ヘクタールに及ぶ広大な神域は、江戸時代初めには肥後藩藩主・加藤家の別邸であり、寛永17年(1640年)より彦根藩藩主・井伊家の下屋敷となっていたもので、この土地が1874年明治7年)、買い上げられて南豊島御料地となっていた。
明治神宮は2010年(平成22年)現在、初詣では大晦日から正月三が日の間で300万人前後にものぼる日本一の参拝者を集めることでも知られる。

アクセス鉄道
南参道 JR 原宿駅下車、表参道口出口(但し初詣等の多客期は、山手線外回り線の列車は臨時ホーム(3番線ホーム)を使用し、隣接する明治神宮への臨時改札口が設けられる)。 東京メトロ千代田線副都心線 明治神宮前駅下車、2番出口。 北参道 東京メトロ副都心線 北参道駅下車。 JR 代々木駅下車。 都営地下鉄大江戸線 代々木駅下車。 西参道 小田急電鉄小田原線 参宮橋駅下車。

道玄坂

道玄坂(どうげんざか)は、
東京都渋谷区にある地名(住所) その由来となった渋谷駅ハチ公口前から目黒方面へ向かう上り坂の名称[1] であり、命名はこの坂に出没して山賊野盗のふるまいをしたという和田義盛の残党、大和田太郎道玄に因む、もしくは道玄庵という寺の庵主が、徳川家康に由緒書を出したことに因むとされる。
渋谷駅西側の丘陵部に位置する繁華街である。
地区 [編集] 南から北へ道玄坂一丁目および二丁目がある。地区としては、北に宇田川町、東にJR渋谷駅、南に桜丘町南平台町、西に円山町に接する。当地域の人口は、758人。郵便番号は、150-0043。
地区の大部分を緩やかな傾斜地が占め、概ね東の渋谷川方向に下る傾向がある。1970年代半ば頃までは多くの民家が店舗などと共に混在する地域だったが、その後は舗系の商業地が殆んどを占める反面で近年は業務系のフロアが多くを占めるビルも目立つ。
坂 [編集] 坂道としての道玄坂はかつての住所で渋谷区上通3丁目に位置し、宮益坂のふもとから続いて西に上っている。上は玉川通りの道玄坂上交差点から、下は渋谷駅前までである。一時期は玉電が坂の中腹から道玄坂上までを走り、現在では玉電の代替とした新玉川線が名称変更した東急田園都市線が坂の地下を通過している。名称は、「道元坂」、「道源坂」と表記されることもあった。
道玄坂は、谷底である渋谷川を挟んで宮益坂(富士見坂)と対面しており、江戸時代に著された『江戸町づくし』には、「行人坂」としても紹介されている。
現在の地理では坂下にはターミナルである渋谷駅があり、坂の沿道には109など東急系の大型店舗・施設を中心に飲食店や雑居ビル、映画館などが多く立ち並んでいる。通りから文化村通りへつながる道玄坂小路には風俗店や飲食店、交番前交差点から円山町と接してBunkamura方面につながる「ランブリングストリート」沿いにはライブハウスラブホテルが密集する地域もあり、狭い範囲ながらも多様性のある地域である。

代々木公園

代々木公園(よよぎこうえん)は、東京都渋谷区にある公園である。所轄は東京都建設局で、代々木公園管理事務所が管理している。
代々木公園の所在地は、かつて「代々木の原」と呼ばれた大日本帝国陸軍代々木練兵場であった。これが第二次世界大戦での日本の敗戦後には占領アメリカ軍施設・ワシントンハイツとなり、1964年昭和39年)の東京オリンピック代々木選手村として使用された後に再整備され、1967年昭和42年)に代々木公園として開園したものである。
代々木公園の敷地は540,529.00m²[1]であり、東京23区内の都市公園のなかでは、葛西臨海公園(約79ha)、水元公園(約76ha)、舎人公園(約71ha)に次いで4番目に広い。園内は東京都道413号赤坂杉並線をはさんで噴水がある北側のA地区と、スポーツ施設やイベントホールなどがある南側のB地区とに分かれている[2]
公園は原宿駅代々木公園駅明治神宮前駅代々木八幡駅に隣接しており、原宿表参道渋谷から人々が多く集まる場所でもある。園内には織田幹雄の業績を称えた「織田フィールド」(陸上競技場)があり、1990年平成2年)5月には、高さ15m - 30mに及ぶ大小3基の噴水や水回廊をもつ水景施設が設定された[3]
隣接する明治神宮が夜間立ち入り禁止となっているのに対して、代々木公園は事実上常時の入園が可能である

NIKEバスケットボールコート [編集] サッカー場と陸上競技場の間には日本では珍しい開放された屋外バスケットボールコートがある。NIKEにより寄贈されたもので、オールコートが2つある。数少ないバスケットボールコートなので若者を中心に国籍問わず様々な人が利用している。埼玉県や神奈川県など首都圏からも利用者が訪れバスケットボールをプレイしている。
震災対策用応急給水施設 [編集] 公園内には災害用給水槽(有効水量1,500m³)がある。定水位弁による引き入れと循環ポンプによる引き出しで給水槽内の水は常に新鮮な状態に保たれている。応急給水口が用意され、震災時に清廉な水道水を無償で給水する。
サイクリングコース [編集] 代々木公園にはサイクリングコースが設置されており、サイクリングセンターで自転車を借りてサイクリングすることができる。自分で自転車を持ち込むことも可能。ペットの連れ込みが禁止されている幼児用サイクリングコースも用意されている。 初学者用にペダルを外したものもある。子供用。
噴水広場など [編集] 噴水広場 中央付近には噴水広場があり、多くの人々が楽器演劇コントダンスやそれらの練習などを行っている。中には野外ライブをやっている者もいるが、楽器は原則として許可無くアンプのような電気製品のものは持ち込むことが禁止されている。中には深夜にファイヤーダンスをする者もいるが、原則として火気厳禁である。また、園内でのスケートボードも禁止されている。
中央の池には噴水が3つあり、夜になるとライトアップされる。
ドッグラン [編集] を放し飼いにできるドッグラン2007年(平成19年)4月28日にオープンした。小型犬用スペースとそうでないスペースとに分けられている。犬をドッグランに入れるには、事前に検査・登録が必要。
バードサンクチュアリ [編集] 園内の原宿明治神宮側にはバードウォッチングができるバードサンクチュアリが存在する。
碑 [編集] 園内には日本初飛行の地として「日本航空發始之地」の碑、1945年(昭和20年)8月25日に元代々木練兵場だった園内の一角にて14人の大東塾生らが自刃した「大東塾十四烈士」のメキシコ政府から東京都に寄贈された「ケツァルコアトル」の像などがある。
オリンピックプラザ [編集] 第一体育館と第二体育館の間の広場は、国立代々木競技場を管理する日本スポーツ振興センターが管轄する「オリンピックプラザ[4]となっており、近年は原宿・新ビッグトップの呼称でシルク・ドゥ・ソレイユなどのイベント会場に使われている。なお同地は厳密には国立代々木競技場の敷地内になるため、代々木公園の公式ウェブサイトや市販の地図、カーナビゲーションには掲載されていない。


アクセス方法 [編集]
環七通りからは、大原二丁目交差点を曲がって井ノ頭通り(都心方面)に入り、そのまま直進し、富ヶ谷交差点を過ぎてすぐ。 国道246号からは、大坂橋(大橋)で山手通りに入り、北上して、富ヶ谷交差点で井ノ頭通り(都心方面)に入ってすぐ。 公園全景 鉄道 JR東日本 原宿駅下車。徒歩3分。 東京地下鉄千代田線副都心線 明治神宮前駅(駅番号C-03, F-15)下車。JR原宿駅と明治神宮に通じる出口から出て徒歩3分。 東京地下鉄千代田線 代々木公園駅(駅番号C-02)下車(綾瀬方面側)。徒歩3分。代々木上原駅方面から出ると代々木八幡駅に隣接する八幡商店街に出ることになり、代々木公園から遠ざかり徒歩6分かかる。 小田急小田原線 代々木八幡駅下車。徒歩6分。 代々木公園の下には代々木公園駅 - 明治神宮前駅間を通る千代田線が走っており、公園には地下鉄の吹き抜けが存在し、地下鉄の走行音を聞くことができる。公園の地下は同線の車庫として整備され、最大8編成が留置可能となっている。

渋谷ヒカリエ

渋谷ヒカリエ(しぶやヒカリエ)は、東京都渋谷区渋谷駅東口に位置する東急文化会館跡地に建設された複合商業施設東急百貨店や飲食店、事務所のほか、ミュージカル劇場「東急シアターオーブ」などが入居している。 2012年(平成24年)のグッドデザイン賞を受賞. 2005年に渋谷駅周辺が都市再生特別措置法に基づく特定都市再生緊急整備地域に指定されて以降、同地域では複数の大型開発プロジェクトや区画整理事業(渋谷駅街区土地区画整理事業)が進められている。そのトップバッターとして開業したのが、渋谷駅東口に竣工した高層複合施設・渋谷ヒカリエである。
東京メトロ渋谷駅と地下で直結し、低層部には東急百貨店が運営する「ShinQs(シンクス)」やカフェ・レストランフロア「dining6」等の商業施設、中層部には「東急シアターオーブ」「ヒカリエホール」等の文化施設、高層部にはディー・エヌ・エー等が入居する業務施設がゾーニングされ、それらを立体的に集積している。渋谷における情報・文化の発信拠点として、渋谷の新たなランドマークとなることが期待される。
また、渋谷特有の谷状の地形に合わせて立体的に街をつなぐ役割も有し、「アーバンコア」と呼ばれる巨大な吹き抜けを通して縦方向の動きを確保している。渋谷という交通の結節点において公的動線の一翼を担い、人々を有機的に結び付ける役目も果たしている。 渋谷ヒカリエの建設工事「渋谷新文化街区プロジェクト新築工事」は、東急建設大成建設とのJVにより、2009年6月から2012年3月までの33か月の期間で進められた。
敷地内の高低差は12m。元々この敷地は区道によって隔てられていた街区を結合させたものであり、この区道は渋谷駅と青山方面を結び、1日に5万人の通行人が行き交う主要通路であった。このため工事中でも通路を閉鎖することはできず、期間中に10回以上の切り替えを行って歩行者の通路を確保しながら上空で高層ビルを築造するという、非常に繊細な安全管理が要求されるものだった。 また、開業から70年が経過した銀座線や、ボックスカルバート躯体の副都心線渋谷駅と隣接しており、とりわけ後者に関してはボックスの変形防止のため、土圧と同程度の圧力を掛け続けなければならないという特異な事情もあったほか、渋谷ヒカリエの地下3 - 4階が駅の吹き抜け部分とつながって駅構内への換気塔の役割を担っており、その機能を妨げないよう配慮しながらの施工となった。
工期の制約もあったため、地下部と地上部、中層部と高層部とを同時に施工する多段施工方式となった。敷地を「開口」「文化」「三社」という3つの区割りを設け、それぞれ街区の事情に合わせながら順打ち工法・逆打ち工法を使い分けた。中層部と高層部では、中層部に位置する劇場空間の天井部分躯体となる4台の大型トラス梁(長さ25.7m、重量260t)をベアロックジャッキやエレクションガーダーを用いて配置し、これにより中高層で工事を同時進行することを可能にした。このリフトアップ方法は一般に橋梁等の土木現場でしか採用されない方法である。
オフィスビルから商業施設、劇場、更には駅への連絡口という多彩な顔を持つ高層ビルであり、また都心という地理的な要因も加わった難工事を経て、渋谷ヒカリエは2012年の春に竣工した。今後も複数の開発プロジェクトが予定されている渋谷駅周辺地域において、そのリーディング・プロジェクトを担う建築物に仕上がっている。

株式会社あぱねっと 池袋店
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